第29番札所 摩尼山 国分寺 宝蔵院
まにざん こくぶんじ ほうぞういん
JR後免駅からバス 領石行 約15分。国分寺通り下車 徒歩5分。 | |
御詠歌 | 国を分け宝を積みて建つ寺の末の世迄の利益残せり |
住所 | 高知県南国市国分546 |
TEL | 088-862-0055 |
HP | http://www.tosakokubunji.org/ |
宗派 | 真言宗智山派 |
開基 |
行基 |
宿坊 | なし |
駐車場 | 境内まで徒歩3分 |
南国市役所 電話088-863-2111 | |
http://www.city.nankoku.kochi.jp/ |
国分川を渡り、やがて見えてくる風格ただよう仁王門が「国分寺」。
『土佐日記』の作者・紀貫之が、国司として4年間滞在した国府の地として有名である。
寺の北東には紀貫之が赴任した屋敷跡もある。
天平13年(741)聖武天皇の勅願により、に行基が建立した寺。本尊の千手観世音菩薩や脇士の不動明王、毘沙門天なども行基の作品。
天皇自らが金光明最勝王経を書写して納め、天下泰平、五穀豊穣、万民豊楽を願う祈願所とした。
弘法大師は42歳の厄年にこの寺に訪れて、真言八祖相承の星供(招福、除災の星祭)の秘法を修し、真言宗の寺として二十九番札所に定めた。
現在の国分寺金堂は永禄元年(1558)長宗我部元親により再建、四方棟こけら葺が特徴で国の重要文化財又境内地は今も創建当時の土壇や塔磁石が残されており国の史跡指定。
寄せ棟造りの清楚な本堂は、長宗我部国親・元親父子が金堂として建立したもので、国の重要文化財に指定されています。また、寺宝は大小2つの木造薬師如来立像。約1mの像は平安後期の檜の一本造り、もう1つの約35cmの像は鎌倉時代の寄木造りで、いずれも重要文化財に指定されている。
仁王門は明暦元年(1655)、土佐二代藩主・山内忠義公が寄贈したといわれる。 豪壮な二層造りの門の左右を、金剛力士が固めている。昭和62年には解体修理が行われれ、階上には創建当時の梵鐘が架かっていたが、現在は金堂の中に収められている。 口径47cm、高さ63.8cm、重さ225kgの梵鐘は、その形状から平安時代前期のものとされ、国の重要文化財指定。
大師堂のそばにある「ひとこと地蔵」は、一心に祈れば1つだけ願いを叶えてくれるといわれている。 とある女性が夫の禁酒を願って成功したことから、それ以来ここの地蔵は「酒断ち地蔵」の愛称で呼ばれるようになりました。
本尊 | ||
千手観世音菩薩 | ||
真言 | ||
おん ばざらたらま きりく | ||
29國分寺の金堂 |
長宗我部元親
四国統一のためとはいえ、多くの寺々を戦火で焼いた人物として、悪名高い長宗我部元親。
長宗我部氏の地元である土佐出身の遍路は、被害が甚大だった阿波や讃岐では肩身の狭い思いをしているとか。
紀貫之
平安前期の歌人で、三十六歌仙の一人。土佐国守を勤めた後、京に帰るまでの道中を、かな文で記した「土佐日記」の作者として有名。
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