第33番札所 高福山 雪蹊寺(高福寺)

こうふくざん せっけいじ

JR高知駅からバス 桂浜、長谷(長浜経由)行 長浜営業所下車 徒歩30分。 
御詠歌 旅の道うえしも今は高福寺後の楽しみ有明の月 
住所 高知県高知市長浜857-3  
TEL 088-837-2233 
HP  
宗派 臨済宗妙心寺派 
開基
弘法大師 
宿坊 なし  
駐車場 境内に隣接 
高知市観光協会 電話088-823-4016 
http://www.welcome-kochi.jp/ 

 

これまでの礼所と違った雰囲気の「雪蹊寺」は八十八ヵ所でも、数少ない禅宗のお寺。

 

延暦年間(782~806)に弘法大師が開基した、当時は「少林山高福寺」と称した真言宗の寺で、創建の時に弘法大師自らが御座大師像を刻んだという。
鎌倉時代に入って仏師・運慶と長男の湛慶が来山し、本尊の薬師如来像は運慶晩年の作といわれ、毘沙門天と脇侍の日光・月光菩薩ともども檜の寄木造りで、湛慶の作といわれる。

 

寺は慶運寺という名に改められるが、その後、寺は荒廃し、天正年間(1573~1592)に月峰和尚が入山。時の大名・長宗我部元親が和尚と親しい間柄であったことから、寺は手厚く保護され再興を果たす。
また、この時に元親の宗派に習って、真言宗から臨済宗に改宗、寺号も元親の法号より高福山雪蹊寺とする。 元親が慶長4年(1599)に伏見で没した後に、後を継いだ盛親はこの寺を長宗我部氏の菩提寺に定めた。

 

明治に入って、廃仏毀釈のあおりを受けて廃寺の危機に見舞われるも、 明治17年に名僧として知られる山本太玄の努力で再興された。太玄の弟子に当たる山本玄峰もまた、 名僧とうたわれる人物。この玄峰が若い頃、失明のような状態になり、裸足で7回の遍路に出た。その途中に太玄と出会い、「心眼をこそ開け」と諭されたという。玄峰は静岡県にある三島龍沢寺ほか、多くの寺を再興した。
境内の入口近くにある「太玄塔」は、太玄住職の供養した塔。

 

境内にある梵鐘には「朝破無明夢 夕開清浄智」の文字が刻まれ、雪蹊寺は県内随一の「鎌倉仏像の宝庫」といわれるほど名品が豊富で、宝物館に納められている。

雪蹊寺 雪蹊寺 本尊
薬師如来
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
33雪蹊寺の薬師如来像
雪蹊寺の薬師如来像

 

運慶・湛慶
鎌倉初期の仏師で、写実的で力強い作風が特徴。 運慶によって確立された慶派仏師の名声は又その長男湛慶に承け継がれて、鎌倉時代の前半はさながら運慶湛慶の父子によって彫刻界を支配したといわれ、 長男の湛慶は父と共に奈良の東大寺や興福寺などの仏像を作成した。

 

運慶には長男湛慶のほか、二男康運、三男康弁、四男康勝、五男運賀、六男運助の6人の息子がおり、このうち遺品が残されているのは、康弁、康勝の二人のみ。

 

貞応二年十二月に巨匠運慶がこの世を去ると、湛慶は運慶の後継者として慶派の棟梁となり、以後、湛慶はめざましい活動をした後、83歳の生涯をとじた。          

第32番札所 八葉山 禅師峰寺 求聞持院

34番種間寺へ8キロ

第34番札所 本尾山 種間寺 朱雀院