第57番札所 府頭山 栄福寺 無量寿院

ふとうざん えいふくじ むりょうじゅいん

JR今治駅からバス 竜岡・鈍川行 大須木下車 徒歩15分。 
御詠歌 この世には弓矢を守るやはたなり来世は人を救うみだぶつ 
住所 愛媛県今治市玉川町八幡甲200  
TEL 0898-55-2432 
HP  
宗派 高野山真言宗  
開基
弘法大師  
宿坊 なし  
駐車場 境内に隣接 
玉川町産業経済課 電話0898-55-2211 
http://www33.ocn.ne.jp/~kotaro_mil/iyosumi/towninfo/tamagawa.htm 

 

鈍川温泉街は「今治の奥座敷」と呼ばれているが、その途中に白壁の塀で囲われた寺が「泰山寺」。

 

弘仁6年(815)、弘法大師がこの地を巡錫中、豪雨のために蒼社川が氾濫していた。当時、この川は毎年のように氾濫しており、地元の人は「人取川」と呼び「氾濫は悪霊の祟りによっておこる」と恐れていた。そんな村人を見た弘法大師は、村民を指導して堤防を築かせ、河川に壇を築いて金明真言の「土砂加持」の秘法を七座厳修された。その満願の日に延命地蔵が空中に出現。大師は示現した地蔵尊を刻んで本尊とし、一寺を建立した。寺名は延命地蔵十大願の第一「女人泰産」からとって、泰山寺と名付けられた。 
山号の金輪山は裏手の山の名前だが、当初はこの山の山頂に位置していたという。
落ち着いたたたずまいの寺には六道輪廻を表した地蔵車もある。

 

天長元年(824)淳和天皇の勅願所となり、七堂伽藍が並び建ち隆盛を誇った。
しかし、度重なる兵火で寺は縮小し、金輪山麓の現在地へ移建された。

 

この寺は、山門のなく、左右に細長く伸びた境内には一列に本堂、納経所、宿坊が並んでいる。宿坊の前にある大師堂は、昭和60年に建立された。そばには金剛杖を持ち、菅笠をかぶった大師像が立つほか、鐘楼、通夜堂、納経所などがある。鐘楼は明治14年(1881)、今治城内にあった太鼓楼の古材で再建したもの。

 

白壁塀の外には、6体の仏像が並んでいる。また、本堂横には金剛力士像と釈迦の弟子であったとされるびんずる尊者の像が鎮座している。

 

大師堂のそばにあった「不忘松」は、弘法大師が一寺を建立した際に御手植えされたという松の木。1度枯れてしまい、今は古い切り株が残っている。その横には子株として育っていた4株のうちの1株が植えられている。また、「さんこの松」は中国原産の白皮松。葉が3本に分かれているのが特徴で、中国西安から持ち帰った種から芽吹いたものを大切に育てている。

 

この寺で一番有名なのは「南無延命地蔵菩薩締信」と書かれた千枚通ご符。
1×3.9㎝サイズの薄紙で、真言を唱えながら水と一緒に飲むと万病に効くといわれています。

栄福寺 栄福寺 本尊
阿弥陀如来
真言
おん あみりた ていせい からうん
57栄福寺の大師像
栄福寺の大師像

 

護摩
炉中に火を焚いて共物を燃やしながら本尊に供養する密教の修法。
護摩の炉に細く切った薪木を入れて燃やし、炉中に種々の供物を投げ入れ、火の神が煙とともに供物を天上にび、天の恩寵にあずかろうとする素朴な信仰から生まれたものである。火の中を清浄の場として仏を観想する。護摩壇に火を点じ、火中に供物を投じ、ついで護摩木を投じて祈願する外護摩と、自分自身を壇にみたて、仏の智慧の火で自分の心の中にある煩悩や業に火をつけ焼き払う内護摩とがあり、火をもって供物に捧げる儀式を「ホーマ」と呼び、護摩の語源といわれている。

第56番札所 金輪山 泰山寺 勅王院

58番仙遊寺へ4キロ

第58番札所 作礼山 仙遊寺 千光院