第66番札所 巨鼇山 雲辺寺 千手院
きょごうざん うんぺんじ せんじゅいん
JR阿波池田駅からJRバス 川之江行 雲辺寺口下車 徒歩1時間20分。 | |
御詠歌 | はるばると雲のほとりの寺に来て月日を今は麓にぞ見る |
住所 | 徳島県三好市池田町白地763-2 |
TEL | 0883-74-1707 |
HP | |
宗派 | 真言宗御室派 |
開基 |
弘法大師 |
宿坊 | なし |
駐車場 | 境内まで徒歩7分 |
三好市役所 電話0879-72-7600 | |
http://www.city-miyoshi.jp/ezs/koholst.asp |
四国八十八ヵ所の中の札所の中でもっとも高い位置(920m)にあるのが「雲辺寺」。
寺は徳島県にあるが、讃岐の「涅槃の道場」に入ることになります。
香川県と徳島県の県境をまたぐ四国山脈に位置する雲辺寺は、神山町の焼山寺、阿南市の大竜寺とともに遍路泣かせの札所となっていたが、今ではロープウェイで全長2600m・高低差650mのゴンドラからの景観は素晴らしいものです。
延暦8年(789)弘法大師が16歳の頃、寺の建築材を求めて登山したところ、霊山の趣に引かれて堂宇を造建。
大同2年(807)嵯峨天皇の勅願によって再び登山し、そして国の重要文化財でもある本尊の千手観世音菩薩を刻み、仏舎利と毘慮遮那法印を山中に納めた。
鎌倉時代には七堂伽藍、12坊を備え、全国各地から僧侶達が集まり、学問を修める場としておおいに栄え、別名「四国高野」と呼ばれた。
「四国軍記」によれば、土佐の戦国大名・長宗我部元親が寺の裏山に登り、眼下に広がる讃岐や伊予の平野を望みながら四国統一の野望をいだいた。元親が自分の野望を当時の住職・俊崇坊(しゅんそうぼう)に打ち明けると、「あなたの器は土佐一国の主。それが四国の主になろうとは、茶釜の蓋で水桶の蓋をするようなもの。今は兵を引いて土佐へ帰り、領民を愛するが良い」と説法したという。
しかし、結局、戦国時代には長宗我部元親の兵火にあい堂塔は焼失、荒廃の状態が長く続いた。
長宗我部元親は一度は四国を手中するが、豊臣秀吉に敗れ、阿波の藩主・蜂須賀家の頃にお寺は保護を受け、再建した。
ロープウェイで山頂に着くと、原生林の中の参道を抜けた所に仁王門があります。簡素な本堂や大師堂、護摩堂、鐘楼など建ち並び、かつての学問道場の雰囲気があります。
本堂の手前には、弘法大師の手掘りの井戸があり、神戸の地震の時に運ばれたという霊水があります。
本堂脇にある「おたのみなす」は、ナスがあだ花の無いことと「成す」をかけた願かけの椅子で、境内には五百羅漢像が立ち並んでいます。
5~10度も気温は低く、シーズン遅れの花や紅葉がすばらしい。特に、5月中旬までのシャクナゲ、10月末までのアジサイは見もの。
本尊 | ||
千手観世音菩薩 | ||
真言 | ||
おん ばざら たらま きりく | ||
66雲邊寺の大師堂 |
毘沙門天展望館
境内から少し登った所には、毘沙門天像を頂いた展望館があります。
八十八ヵ所の風景を描いた版画がズラリと並び、足が止まります。
螺旋階段を登って出ると、長宗我部元親が見た景色もこんな感じだったのでは?と思う。
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