修行の道場・土佐国(高知)

修行(しゅぎょう)= 実践の場となる「修行の道場(高知県)」
高知県は札所から札所までの距離も長く、東の室戸岬から西の足摺岬へと、荒々しい波が打ち寄せる海沿いの道や、険しい山道などをひたすら次の札所まで歩くという、弘法大師が「空海」を名乗るきっかけとなった、まさに修行の場。

 

徳島県最後の札所である薬王寺から、高知県最初の札所最御崎寺までは長い長い海岸線の道が続く。特に宍喰町を過ぎてから室戸市の入木までは、雨宿りの場所もなく荒波が打ち寄せる四国でも一番の難所といわれている。
室戸阿南海岸国定公園に指定されている海岸線を下り、岬に近づくにつれ亜熱帯植物が生い茂り、まさに南国土佐のイメージにぴったりの景色が広がる。室戸岬 一帯は、弘法大師の若かりし頃の修行を積んだ場所といわれ、至るところに大師ゆかりの遺跡が残っている。

 

■高知県HPより
「とさ」の呼称は、古くから国産みの神話のなかで、土佐国建依別(とさのくにたけよりわけ)とよばれ、雄々しい男の国とされています。
戦国時代には七雄が並び立ちましたが、長宗我部氏が土佐を統一、その後、関ヶ原の合戦で西軍に味方して破れた長宗我部氏に代わって、慶長六年(1601年)山内一豊が土佐二十四万石の国主として入国しました。
幕末には、坂本龍馬など多くの志士を輩出。
明治維新には板垣退助などが、自由民権運動を起こし、「自由は土佐の山間より」とうたわれるようになりました。
また中江兆民、幸徳秋水などの思想家、岩崎弥太郎などの実業家、牧野富太郎、寺田寅彦などの学者と、数多くの偉人を輩出しました。

西暦 元号 出来事
934 承平4年 紀貫之解任され帰京(土佐日記成る)
1468 応仁2年 前関白一條教房が四万十市(旧中村市)に移る
1574 天正2年 長宗我部元親が四万十市(旧中村市)から一條兼定を追い、土佐を統一する
1600 慶長5年 長宗我部盛親除封、山内一豊が土佐国主となる
1852 嘉永5年 漂民中浜(ジョン)万次郎が米国から帰国する
1866 慶応2年 坂本龍馬が薩長連合に成功する
1871 明治4年 廃藩置県、高知県となる 林有造が初代大参事(知事)に就任 。