第12番札所 摩廬山 焼山寺 正寿院
まろざん しょうさんじ しょうじゅいん
JR徳島駅からバス 焼山寺行 約90分。焼山寺下車 徒歩90分。 | |
御詠歌 | 後の世を思へば恭敬焼山寺死出や三途の難所ありとも |
住所 | 徳島県名西郡神山町下分字地中318 |
TEL | 088-677-0112 |
HP | |
宗派 | 高野山真言宗 |
開基 |
行基 |
宿坊 | あり(要予約)夏期・冬期休業有り |
駐車場 | 境内まで徒歩10分 |
神山町 電話088-676-1118 | |
http://www.town.kamiyama.lg.jp/kanko/detail.php?hdnKey=329&kbn=1 |
11番から12番へは起伏に富んだ全長12.3㎞、標高差の累積1100mの急勾配の続く山道である。
四国遍路の最初の難所で「遍路ころがし」で有名な「焼山寺」。
歩き出すとわかるけれど、午前中にしっかり歩けても、午後は疲労感の蓄積でペースダウンする。
早いスタートが基本だけれども、この辺りは特に、 朝早くからスタートすることをお薦めします。
焼山寺までの行程には「長戸庵」・「柳水庵」・「一本杉庵」の三ヵ所の庵で休憩をしながら峠越えを目指す。「長戸庵」は登り口と「柳水庵」の中程にあり、「柳水庵」は焼山寺までの中程にあり湧き水「柳の水」がある。
「一本杉庵」は遍路姿の大師像が迎えてくれ、遠くに焼山寺が見える。
境内に足を踏み入れて驚くのは、杉の巨木の多さである。 幹の樹周5m前後の巨木は徳島県の天然記念物に指定されている。 山門付近に約40本、本堂西南に約15本、そして奥の院に至る山中に100本余りあるという。
推定樹齢は約300年で、焼山寺のシンボルとなっている。
大宝年間(701~04)に修験道の開祖役小角が、焼山寺山を道場として拓き、蔵王権現をまつり、庵を結んだのがこの寺の歴史の始まりといわれている。
弘法大師がこの地へ修行に訪れ、村人を困らせている火を吐く大蛇がいることを聞き、川で身を清めて真言を唱えながら登っていくと大蛇が現れ、襲ってきたそうです。そのとき大師の目の前に虚空蔵菩薩が現れ、その力をお借りした大師が大蛇を岩窟に封じ込められました。大師は力をさずかった虚空蔵菩薩を刻んで本尊とされ、火の山から生まれたことにちなんで寺名をつけた。
弘法大師作の三面大黒天は、中央に大黒天の像を、右面に毘沙門天の像を、左面に弁財天の像を彫ったもの。 毘沙門天は手に持った塔から珍宝を出して民衆に授ける福の神であり、弁財天は水に縁深い女神で、その手に持った琵琶から心地よい音を出して民を喜ばせる神様で知恵の徳を授けてくれる。大黒天は戦闘の神であり、悪魔を降伏させる力があり災難除け福徳神とされている。
奥の院へは境内から歩いて約1kmの山頂にあり、途中には、大蛇を閉じ込めた岩窟、牛頭権現、 大師の杖を立てた杖立権現、せり割りの岩、五葉の丸、蛇渕などがある。
また、大師が護摩をたいた大岩には、蛇伏せと称される。
焼山寺から次の13番大日寺を結ぶ遍路道の途中に立つ、杖杉庵(じょうしんあん)は、お遍路の最初の人といわれる衛門三郎(えもんさぶろう)が亡くなる前にお大師様に出会えた場所、衛門三郎(えもんさぶろう)が持っていた杉の杖を大師が地面に立てると、後に大杉となったと伝えられています。
初代は享保年間に焼けてしまい、現代は二代目。
本尊 | ||
虚空蔵菩薩 | ||
真言 | ||
のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか | ||
12焼山寺の本堂と石造の多宝塔 |
役行者小角
修験道の開祖。
多くの深山を修行地として拓き、山岳寺院を開いた。 八十八ヵ所中、四寺を開基している。
虚空蔵菩薩
偉大な記憶力を授け、学業成就を叶えてくれる智恵のの仏。
真言を百万回唱えると経本の文と義が暗記できるという求聞持法の本尊でもある。
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