第20番札所 霊鷲山 鶴林寺 宝珠院
りょうじゅざん かくりんじ ほうじゅいん
JR徳島駅からバス 勝浦行 生名鶴林寺下下車 徒歩90分。 | |
御詠歌 | しげりつる鶴の林をしるべにて大師ぞいます地蔵帝釈 |
住所 | 徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾14 |
TEL | 08854-2-3020 |
HP | |
宗派 | 高野山真言宗 |
開基 |
弘法大師 |
宿坊 | あり(春と秋のみ・要予約 ) |
駐車場 | 境内まで徒歩2分 |
勝浦町役場 電話0885-42-2511 | |
http://www.town.katsuura.tokushima.jp/ |
勝浦川と平行して、しばらく歩き、県道からやがて勾配の急な道をどんどん上ると「鶴林寺」。
うっそうとした木立の中にあらわれる仁王門は、実に堂々として、境内の樹齢800年以上もの老杉が、歴史を感じさせる。
お鶴さんと地元の人々に親しまれるこの寺は標高570mの鶴林寺山の頂にあり焼山寺に続く阿波の難所です。付近一帯は自然公園に指定されて、二十一番札所の太龍寺と向かい合う位置にあり、この鶴林寺は胎蔵界道場、そして太龍寺は金剛界道場となっている。
延暦17年(798)に桓武天皇の勅願により、開基されたのがこの寺の歴史の始まで、弘法大師がこの地で修行をされている時、雌雄二羽の白鶴が金色の地蔵菩薩を守護しながら杉の梢に降りてきました。大師は三尺の地蔵尊を刻んで、その胸の部分に御降臨された一寸八分の金色に輝く地蔵菩薩を納めて本尊にされたという伝説が残っています。この地蔵大菩薩は国宝に指定されていて、この雌雄の白鶴の伝説から、寺号が鶴林寺と命名された。また、この山の様相がインドの霊山に似ていたことから、山号を霊鷲山と名付けられた。本堂の両脇と仁王門にはそれぞれ一対の白鶴の像が立っている。
また、本堂左手奥に鶴が舞い降りた杉「本尊降臨の杉(ほんぞんこうりんのすぎ)」があり、鶴林寺のご朱印はこの鶴の由来より、本尊に鶴の朱印が押印されます。また鶴に対して、亀の朱印を押印されるのが高知県最後の札所、39番札所延光寺で、白衣の背中に、鶴・亀の朱印とで一対になるので白衣に朱印を希望する人も多い。
境内には6体の地蔵尊と大師の像を納めた六角地蔵堂や、忠霊殿、護摩堂、三重塔などがある。 仁王門の仁王像は、運慶の作であると伝えられている。
本堂の右手にある三重塔は文政6年(1823)、江戸末期に建てられたもので、各層は和様、唐様と、それぞれに異なった建築手法を見ることができる。この塔は江戸末期における代表的建築物であり、藩政時代に建って残っている、貴重な三重塔は県内唯一。
本堂の御本尊の位置から、現在11基の丁石が残っている。 一丁は約30mで、昔の鶴林寺への参道を知る貴重な資料だ。南北朝時代に建立されたもので、徳島県では最古のものといわれる。 頭の部分に鉢巻きを巻いたように印があるものが、特に古いものだ。
本尊 | ||
地蔵菩薩 | ||
真言 | ||
おん かかかび さんまえい そわか | ||
20鶴林寺の三重塔 |
地蔵菩薩
現世にあって人々を救済する。
他の菩薩と異なり、修行が成就した証に頭を丸めた姿が特徴。
「大地の母胎」「大地の蔵」という意味を持つ仏。
釈迦入滅から弥勒仏が現われるまでの無仏の時代には、六道の衆生を救う仏とされていた。今日では、水子供養のための仏(水子地蔵)や交通安全を祈願するための仏として広く知られている。
鶴林寺の本尊は一木造りの平安期のもので、その昔、伊三太という猟師が大猪に弓矢を放って射止めたが、 猪は本堂へと逃げ込んだ。猟犬とともに追って本堂に入ったが、姿がなく、なんと本尊の地蔵菩薩の胸に伊三太の放った矢が刺さっていたのである。 このことから本尊は矢負地蔵とも呼ばれている。
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