第53番札所 須賀山 圓明寺 正智院
すがさん えんみょうじ しょうちいん
JR伊予和気駅から徒歩3分。 | |
御詠歌 |
来迎の弥陀の光りの圓明寺照りそう影は夜な夜なの月 |
住所 | 愛媛県松山市和気町1丁目182 |
TEL | 089-978-1129 |
HP | |
宗派 | 真言宗智山派 |
開基 |
行基 |
宿坊 | なし |
駐車場 | 境内に隣接 |
松山市役所 電話089-948-6887 | |
http://www.info-matsuyama.lg.jp/ |
周辺には民家が立ち並び、市井の賑わいの中、和気町で「和気の圓明さん」の愛称で親しまれる「圓明寺」。
天平勝宝元年(749)、聖武天皇の勅願を受けた行基が、自ら阿弥陀如来を彫って安置し、開基しました。
創建当時は海岸山・圓明密寺を名乗っていました。
その後、巡錫した弘法大師が堂宇を整えたといわれ、当時、寺は和気西山の海岸に位置していましたが、鎌倉時代には度重なる兵火によって焼失してしまう。この地に引っ越してきたのは元和元年(1615)。この地の豪族・須賀重久が伽藍を再興した。
長い石段の先にある仁王門(八脚門)をくぐって入った境内には、楼門、大師堂、本堂、観音堂が整然と並んでいる。十一面観音像が安置された観音堂は、断絶した国主・河野家の遺臣たちの追善供養のために建立され、関ヶ原の戦いで没した戦士たちの霊を慰めている。
本堂の中には長さ4mはあろうかという、巨大な龍の彫り物が施されている。今にも動きそうな躍動感に満ちた龍は、名工・左甚五郎の作ではないかといわれている。
大師堂の横には、なぜか石に彫られたマリア像があり、県下で一基のキリシタン灯籠。キリシタン禁制の寛永年間(1624~1644)に建立されたもので、山門をくぐってすぐの左手にあり、一見したところはわかりにくいが、その形状は十字架のようになっている。キリシタン禁制の江戸時代、寺ではかくれ信者の礼拝を黙認していたと思われる。一宗派にこだわらない、懐の深さを感じます。
圓明寺には日本最古の銅製の納め札も残されている。「四国仲遍路同行二人 今月今日平人家次」と書かれており、慶安3年(1650)のものといわれている。発見者はアメリカ人のシカゴ大学教授・スタール博士。
本尊 | ||
阿弥陀如来 | ||
真言 | ||
おん あみりた ていせい から うん | ||
53圓明寺の本堂 |
左甚五郎
江戸前期の建築・彫刻の名工として名高い人物。
伝承によれば現在の大阪府貝塚市出身で、狩野永徳に学び、北野天満宮や豊国神社の造営に従ったとされる。
日光東照宮や京都知恩院の造営、有名な眠り猫の彫刻のほか、多くの龍彫刻を残したと言われていた不明な点も多い。
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