第45番札所 海岸山 岩屋寺
かいがんざん いわやじ
JR松山駅からバス 高知行 久万高原乗換、面河行き岩屋寺前下車 徒歩20分。 | |
御詠歌 | 大聖の祈る力のげに岩屋石の中にも極楽ぞある |
住所 | 愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468 |
TEL | 0892-57-0417 |
HP | |
宗派 | 真言宗豊山派 |
開基 |
弘法大師 |
宿坊 | なし |
駐車場 | 境内まで徒歩20分 |
久万高原町美川支所 電話0892-56-0359 | |
http://www.ehime-iinet.or.jp/sren/21mikawa/ |
数千万年前には海底にだったといわれ、隆起、浸蝕されて異様な奇観の中にあるのが「岩屋寺」。
現在の八十八ヵ所の中では一番の難所。徒歩しか手段がなく、800mの急勾配な坂道と不規則な階段が続く。
山門から本堂までの266段の石段は、杉木立に覆われた細く急な参道で、そこかしこには地蔵や苔むした墓標が並ぶ。垂直にそびえ立つ高さ100mの大岩盤に守れるように本堂が見えてきます。
境内の石碑には、寺の縁起として、弘法大師が修行の霊地を求めて投げていた明王鈴の音を頼りに当山に巡錫されたとあります。
もともとこの地は、法華仙人という神通力を持つ女人が修行をしていた場所。
弘仁6年(815)に、弘法大師が修行の霊地を探して入山。明王鈴の音を頼りに岩山に上ったところ、法華仙人に出会った。弘法大師に深く帰依した仙人は、山を弘法大師に献上して往生を遂げた。
大師は木と石の不動明王を刻み、木像は本尊として本堂に安置して開創。石像は山に封じ込め、山そのものを御本尊とした。寺の左右にある礫岩峰は、左の鐘楼門に面したところが胎蔵界峯(たいぞうかいほう)、右が金剛界峯(こんごうかいほう)と呼ばれている。
金剛界峯には、法華仙人の行場の跡と舎利塔が残っている。明治31年(1898)には、火災で仁王門、虚空蔵堂を残して堂舎などは焼失。現在の本堂は昭和2年に、大師堂は大正9年(1920)に、山門は昭和9年に、鐘楼は昭和27年に建立された。
この本堂がある境内からの眺めは、実に幻想的。大師は「山高き谷の朝霧海に似て 松吹く風を波にたとえむ」と詠み、この歌は海岸山という山号の由来となった。
大師堂は本堂から少し離れた場所に。この大師堂は本堂より大きく、また高い位置にある。
これは本尊の一つである石像が山に封じこめられているため。山全体を本尊とするこの寺ならではのこと。
岩峰には弘法大師の名残が数多く見受けられる。その一つの穴禅定と呼ばれる洞窟には、弘法大師自らが掘られたという「独鈷(とっこ)の霊水」と呼ばれる湧き水が、こんこんと湧き出ている。
大師堂奥には狭い山道があり、その山道をたどると、かつての弘法大師の修行の場・逼割禅定(せりわりぜんじょう)の入口。
大きな岩の裂け目には木製の扉があり、普段は鍵が掛かっている。そのため逼割禅定に行く人は、あらかじめ事務所で鍵を借りる。ここから落ちて命を失った遍路もいるというので、足元にはくれぐれもご注意を。そそり立つ岩の裂け目をくぐり、鎖を頼りに約10mほど岩山を上り、さらに21段のはしごを上がれば、岩の頂上にまつられた白山権現にようやくたどり着く。危険をともなうが、それだけに頂上からの絶景は心に残る。
本尊 | ||
不動明王 | ||
真言 | ||
のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん | ||
45岩屋寺の礫岩峰に抱かれる庫裏 |
法華仙人
天台宗の開祖の天台大師が始めた法華三昧の修行を成就し、空を自由自在に飛ぶことが出来た女人の仙人。
岩峰に観音の効験を聞いて、土佐から移り住んできたと伝えられている。
不動明王
すべての悪を破壊する大日如来の化身。
常に火焔の中にあって憤怒の表情で髪を逆立て、右手には悪を懲らしめる為の剣を持っている。
八十八ヵ所の中で不動明王を本尊とするのは三寺のみ。
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