第43番札所 源光山 明石寺 円手院
げんこうざん めいせきじ えんじゅいん
JR卯之町駅からバス 田の中行き明石下車 徒歩4分。 | |
御詠歌 | 聞くならく千手ふしぎのちかひには大磐石もかろくあげいし |
住所 | 愛媛県西予市宇和町明石201 |
TEL | 894-62-0032 |
HP | |
宗派 | 天台宗寺門派 |
開基 |
正澄上人 |
宿坊 | あり(要予約) |
駐車場 | 境内まで徒歩2分 |
西予市役所 電話0894-62-1111 | |
http://www.city.seiyo.ehime.jp/ |
若い乙女が化けた千手観音菩薩が大石を抱いてこもったという伝説のある、四国霊場の本関所でもある「明石寺」。
欽明天皇(539~571)の勅願により、円手院正澄が唐渡来の白木の十二面千手観世音を安置。七堂伽藍を建立して開基した。
聖武天皇の時代、天平6年(734)には、役小角の五代目にあたる寿元行者が紀州熊野より十二社権現を勧請。十二坊を建立して、修験道場の中心地とした発展したが、その後、鎌倉時代には伽藍は荒れてしまった。
弘仁13年、嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が金紙金泥の法華経を納め、伽藍を再興。第43番の霊場と定められた。
建久5年(1194)には源頼朝が自身の命の恩人である池の禅尼(平清盛の継母)の菩提を弔って、阿弥陀如来を安置し、一宇を建立。この時に山号は「現光山」から「源光山」に改めたとも伝えられる。
その後も武士の帰依が篤く、室町時代には西園寺氏の祈願所となり、寛文12年(1672)には、宇和島藩主伊達宗利が、現在の御堂を建立したと伝えられている。
現在の本堂は、左右が反り、中央が膨らんだ唐破風造りの屋根は重厚で、鬱蒼とした緑を背に、風格を漂わせている。
仁王門の右手には弘法大師の修行の跡といれれる「弘法井戸」や、本堂裏手の山上には西国を巡拝していた婦人が寄進した、左手に水瓶を持った観音像「しあわせ観音像」が建っています。
境内の地蔵堂の傍には、大きな「梛の木(なぎのき)」があるが、樹齢250年の神木で熊野の行者が植えた紀州の木で四国では珍しい木です。
思わぬ見どころは本堂外陣の天井絵。これは明石寺の信徒が松に鶴、竹に雀、亀などのお目出たい絵柄の絵馬を描いて奉納したもの。華やかな色合いが、落ち着いた雰囲気の寺に彩りを添える。
本尊 | ||
千手観世音菩薩 | ||
真言 | ||
おん ばざら たらま きりく そわか | ||
43明石寺の地蔵堂の彫刻 |
寺の読みは「めいせきじ」だが地元では「あげいしさん」の方が通りはいい。
十夜ヵ橋
第43番札所から第44番札所へ向かう道、国道56号線沿いに「十夜ヶ橋」という名の橋がある。
弘法大師が空腹と極寒のなか一夜を過ごし、一夜が十夜に思われたという伝説の場所で「橋の上では杖をつかないように」と言われるようになった所。布団を掛けられた大師像がある。
筆者は、多分、昔の橋は木製で弱く、大勢の人の杖で橋が傷む事を懸念したのでは?と考えたけれど。
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