第18番札所 母養山 恩山寺 宝樹院
ぼようざん おんざんじ ほうじゅいん
JR南小松島駅から徒歩30分。 | |
御詠歌 | 子を生めるその父母の恩山寺訪らひがたきことはあらじな |
住所 | 徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40 |
TEL | 08853-3-1218 |
HP | |
宗派 | 高野山真言宗 |
開基 |
行基 |
宿坊 | なし |
駐車場 | 境内まで徒歩2分 |
小松島市役所 電話0885-32-2111 | |
http://www.city.komatsushima.tokushima.jp/ |
眉山や徳島城跡などの名所旧跡のある、徳島市街を抜けて、急坂の山道を登り切った所にある「恩山寺」。
天平年間(729~49)に聖武天皇の勅願により行基が開いたという大日山福生院密厳寺は当時、女人禁制の道場。
延暦年間(782~806)に弘法大師がここに滞在して修行をされている時に、大師の母君である玉依御前(たまよりごぜん)が息子に会うために、はるばる讃岐の地から訪ねてきた。
しかし、この山は女人禁制。そこで大師はひと七日(一週間)滝に打たれ修行をし、女人解禁の秘法を修め、母君を迎え入れることができ、この寺で孝行を尽くし、山号を母養山恩山寺にしたといわれています。
この時、大師が修行をしたのが、赤い欄干のかかっている橋の下であり、そのことを記念して、びらん樹が植えられ、県の天然記念物に指定されています。
また、大師の母君はここで髪の毛を剃って出家されました。
玉依御前をまつったお堂の中には、その時の髪の毛が納められています。
駐車場から竹林の茂る参道を少しのぼってたどりつく境内には、 樹齢約300年の大きなイチョウの木や、樹齢約350年という立派なソテツの木がある。
長い階段を上ったところにある本堂の左側には細い階段があり、約300mほど歩けば恩山寺自然公園の展望台に出ることができる。 ここからは小松島港や市街地、紀伊水道を一望できる。
大師堂には、弘仁5年(814)、41歳の時に大師が自らの像を彫刻されたものを本尊として安置している。 人々に福が訪れ、難厄を免れ、詣った者のいかなる罪も消えるようにと、祈願しながら彫られた大師像だ。
この付近は桜の名所でもある。
本尊 | ||
薬師如来 | ||
真言 | ||
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか | ||
18恩山寺の修行大師御尊像 |
女人禁制
儒教の思想がその背景にあり、,「血を穢れ」とする考え方があるため、女性の身体から必然的に血が出る為、穢れている(不浄)とされ、清浄を重んじる神社の神事から遠ざけられて来た。
こうしたことから男性が女性より偉いという考え方が一般化し、男女差別=男尊女卑との考えが広まったといわれている。
ただ、神道の考え方では、女性だけを穢れとしたわけではなく、穢れとは、元気(健康な状態)と反対で、本来あるべき気(元気)が「枯れて」しまった状態の気枯れを意味する。
もう一つの理由として、僧の修行にとって「禁欲生活の支障になる」というのも大きな理由だったと思われる。
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