第62番札所 天養山 宝寿寺 観音院
てんようざん ほうじゅじ かんのんいん
JR伊予小松駅から徒歩2分。 | |
御詠歌 | さみだれのあとに出たる玉の井は白坪なるや一の宮かな |
住所 | 愛媛県西条市小松町新屋敷甲428 |
TEL | 0898-72-2210 |
HP | |
宗派 | 高野山真言宗 |
開基 |
聖武天皇 |
宿坊 | なし |
駐車場 | 境内に隣接 |
西条市商工観光課 電話0897-56-5151 | |
http://www.city.saijo.ehime.jp/kankou/meisyo2.htm |
JR予讃線伊予小松駅近く、国道11号線沿いという賑わいの場所にあるのが「宝寿寺」。
天平年間(729~749)に聖武天皇は大己貴尊のご神託を受けて、伊予国一の宮、御法楽所として建立されたのが寺の始まりで、当時は金剛宝寺と称していました。
大同年間(806~810)には弘法大師が来錫。光明皇后を型どった十一面観世音菩薩を刻んで本尊として安置し、寺号を宝寿寺と改めました。
当時は山手川・中山川の近くにあったため、幾度となく河川の氾濫に遭い、破損・再建を繰り返す。天養年間(1144~1145)には大修理が施されたが、山号の天養山はこれにちなんだもの。伊予水軍の大山祗神社の別当寺となった歴史もある。
明治の廃物毀釈では廃寺に。だが、明治10年、四国遍路の行者・大右竜遍上人が寺の再興にあたり、京都の伏見稲荷、岡山の最上稲荷、愛知の豊川稲荷の3神を護法神として迎え、寺門の興隆、諸人の護世安楽を祈願して建立。
大正10年に予讃線開通にともなって現在地に移された。境内にはよく手入れされた日本庭園もあります。
なお、弘法大師が刻まれた十一面観音は、秘仏のため拝観は出来ません。
山門をくぐると、すぐ右手には安産祈願の神としての「安産観音像」と大きなチシャノキ(町の天延記念物)が枝を広げ、正面になだらかな板橋を掛けた本堂があります。
境内には高野山の真念が建てたと伝わる八十八ヵ所中最古の石の遍路標識があるが、これは旧道にあったものを移したもの。
本尊 | ||
十一面観世音菩薩 | ||
真言 | ||
おん まか きゃろにきゃ そわか | ||
62宝寿寺の本堂 |
遍路標識
本やガイドブックに頼るより、土地の人に尋ねつつ、へんろマークや道標を確認しながら歩く方が効率的かもしれない。歩いていると、自分が今どこにいるのかが分からなくなって来るので、本やガイドブックが役に立たないこともあるからだ。もちろん、携帯電話のGPSなどで、時代は変わったけれど、土地の人に道を聞くことにより、新しい出会いで考えさせられる事も多い。
ツアーで行くとプラス面も多いが、一番のマイナス面はこういう所だろう。
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