第47番札所 熊野山 八坂寺 妙見院
くまのざん やさかじ みょうけんいん
伊予鉄道松山市駅伊予鉄バスセンターから バス 久谷、丹波行 約40分。八坂寺前下車 徒歩約3分。 |
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御詠歌 | 花を見て歌よむ人は八坂寺三仏じやうのえんとこそきけ |
住所 | 愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773 |
TEL | 089-963-0271 |
HP | |
宗派 | 真言宗醍醐派 |
開基 |
役行者小角 |
宿坊 | なし |
駐車場 | 境内に隣接 |
松山市役所 電話089-948-6887 | |
http://www.info-matsuyama.lg.jp/ |
浄瑠璃寺から約15分、ゆるやかな坂を上り詰めた所に位置する「八坂寺」。
その歴史は古く、行者・役小角によって開基され、大宝元年(701)、伊予の国司越智玉興(たまおき)が、文武天皇の勅願寺として創建した。この時に、伽藍を建立するために八つの坂を切り開いたため、この寺号が付けられた。
その後、弘法大師が長期間にわたって逗留して再興。
本尊は恵心僧都(えしんそうず)作といわれる御丈三尺、寄木造の阿弥陀如来。 作者の恵心僧都は、平安時代中期の代表的な僧だ。ちなみにこの本尊は秘仏とされており、県指定の文化財であり、 開帳は50年に1度に限られている。次回見ることができるのは2034年。
熊野山八王寺と称し隆盛を極めた寺は、一時は末寺48ヶ寺を所有するなど修験道の根本道場として大いに栄える。だが、 戦国時代に入って、長宗我部氏の兵火のために伽藍は焼失した。
寺宝は鎌倉時代の宝篋印塔(ほうきょういんとう)、石造層塔などがある。
本堂は、鉄筋コンクリート造の美しい建物。戦国時代の焼失以来、 再興と焼失を繰り返したため、大師堂とともに近年再建されたものだ。 この建物は、周辺の自然と相まってスッキリと美しいたたずまいを見せる。
本堂の右奥には紀州の熊野大権現、十二社権現をまつった権現堂がある。
本堂の左右両側に地下があり、階段を下るとおびただしい数の万体阿弥陀仏が黄金色に輝いている。
本堂と大師堂の間にある閻魔堂には、「極楽の途」「地獄の途」の2つが設けられている。 それぞれが短いトンネル状になっており、極楽には美しい浄土が、地獄には餓鬼道、畜生道、修羅道などが描かれている。
本尊 | ||
阿弥陀如来 | ||
真言 | ||
おん ありみた ていせい から うん | ||
47八坂寺のいやさか不動尊 |
衛門三郎の伝説
ここは四国遍路の元祖といわれる衛門三郎縁の屋敷跡の寺。弘法大師に冷たい仕打ちをした衛門三郎は、8人の子どもを次々と失ってしまう。全ての子どもを亡くし、反省した三郎は、大師を追いかけて霊場を巡ったが、これが四国遍路の元祖では…とも言われている。
八坂寺の近くには大法山文殊院があり、やはり衛門三郎の屋敷跡に建てられた寺。
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