第80番札所 白牛山 國分寺 千手院
はくぎゅうざん こくぶんじ せんじゅいん
JR国分駅から徒歩5分。 | |
御詠歌 | 国を分け野山をしのぎ寺々にまいれる人を助けましませ |
住所 | 香川県高松市国分寺町国分2065 |
TEL | 087-874-0033 |
HP | |
宗派 | 真言宗御室派 |
開基 |
行基 |
宿坊 | なし |
駐車場 | 山門前に隣接 |
国分寺町役場 電話087-874-1111 | |
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kokubunji/index.htm |
県道33号線沿いにある山門をくぐると、木々の間に大きな礎石が目につくのが讃岐最大の「國分寺」。
天平13年(741)、聖武天皇の勅願により全国に建立された國分寺の1つ。
奈良の東大寺が総國分寺とされています。
四国の國分寺は行基がその勅令を受け、四国四番目の讃岐の國分寺は天平勝宝8年(756)に十一面千手観世音菩薩像を安置して開基した。
弘仁年間(810~24)、弘法大師が本尊を修復し、堂塔を増築したという。当時は東西220m、南北240mの広大な寺域をもち、金堂や鐘楼、七重塔、僧房などが立ち並ぶ大寺院であった。
その後、天正年間(1573~92)に長宗我部氏により、多くの伽藍が炎上したが、奇跡的に梵鐘と本尊は残った。慶長年間(1596~1614)には讃岐国守・生駒一正によって再興され、江戸時代には高松藩主松平家代々によって庇護された。
天平年間の創建当時に鋳造された、四国最古級といわれている梵鐘は、重要文化財。その昔、塩江町の百々渕(どどがぶち)にいた大蛇がかぶっていたものを、弓の名人が退治して國分寺に寄進したという伝説がある。また、讃岐国守・生駒一正を悩ませた鐘でもある。
その梵鐘のある場所から、堀にかかる石で造られた弘誓橋を渡ると、入母屋造、本瓦葺鎌倉後期に再建された本堂があり、重要文化財に指定されています。
寺域からは創建時代の唐草文平瓦、蓮華文丸瓦、重孤文平瓦などの瓦が出土し、瓦を焼いた窯跡も残っている。
本尊(重要文化財)はケヤキの一木造りで、5.2mの高さがあり、開帳されない秘仏。
この本尊には「弘治三丁六月二十八日四国中辺路同行二人」「大永八年五月二十日安芸宮島一之浦同行四人南無大師遍照金剛」という落書きがあり、室町時代に遍路が来ていたことがうかがえます。
本尊 | ||
十一面千手観世音菩薩 | ||
真言 | ||
おん ばざら たらまきりく | ||
80國分寺の本堂 |
31歳の時、遣唐使船で最澄と同時に唐に渡りました。
長安の青龍寺で、密教の権威である恵果阿闍梨(けいかあじゃり)に師事し並み居る弟子を指し抜いて胎蔵界(=大日教)と金剛界(=金剛頂教)の二つの密教のすべてを受け継ぎ、伝法阿闍梨の各灌頂を伝授され、密教の奥義秘事を受けつぎ、すべての教典、法具を取得した。
この灌頂のときマンダラ中央の大日如来の上に二度も投花がおちたので「遍照金剛」と言う灌頂名を授けられました。
20年の予定で渡った空海はわずか2年で密教の全てを所得し、西暦806年帰国した。
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